その2 ジャズの誕生はクリオールのおかげ

 1861年に始まった南北戦争は、1965年に北軍の勝利に終わり、その結果奴隷解放令が発令されました。つまり、それまで黒人奴隷をこき使ってがっぽり儲けていたニューオーリンズ周辺に住むヨーロッパ出身の山師の子孫たち(大農貴族ともいう)は、安い労働力を手放さなくてはいけなくなってしまいました。そういうわけで、彼らの憎悪はまず北部の白人に向けられました。しかし同時に肌の色は白くないのに白人並みの生活をしていたクリオールにも向けられました。「おいおい、そんなとばっちりはないんじゃないの?」とも思うんですが、とにかくそうした結果、クリオールの人たちは身分的には「黒人の血が入っているから」という今までとは正反対の理由で、また経済的にも南部の白人による、クリオール商人に対する不買運動などによって、すっかり没落してしまいました。

 こうして没落してしまったクリオールは、それまで自分達も見下していた他の黒人たちと同じ身分とみなされていきました。その頃の黒人は奴隷解放令によって、奴隷という職業からは解放されましたが、人種的偏見はそう簡単には消えませんから、やっぱり苦しい思いをしていました。そういう彼らは、音楽に救いを求めていたようです。
 黒人たちは、奴隷から開放される以前から日曜日になると町の「コンゴ広場」に集まってアフリカの祖先から受け継いだ歌や音楽に興じていました。もちろん彼らがこの地へ来てから聞きなじんだスペインやフランスの音楽も記憶をたどりながら演奏されていたようですが(楽譜もないからね)、そこでは打楽器を中心とした黒人特有のリズム感に基づいて、彼等流にアレンジされた音楽として演奏されていたようです。そこへ奴隷解放後、「新しく」黒人扱いされるようになったクリオールも参加するようになりました。その結果、彼らが西洋音楽の要素(西洋風のメロディとか)を持ち込むことになり、アメリカ黒人の音楽はその2つが融合して発展していきました。

 さらにこの頃、南北戦争に負けたために南軍の音楽隊が解散し、その結果多数の楽器が安値で放出されるようになりました。黒人たちはこの楽器を手に入れ、見よう見まねで演奏するようになりました。このようにして、楽譜が読めない黒人による独特のリズム感あふれる自己流演奏を、西洋音楽の要素を知るクリオールがまとめるような形で、今までの白人ブラスバンドにはない、躍動感あふれる音楽が出来上がっていきました。

 こうした発展はアメリカのその他の地域でも起こっていました。しかしそれが一番うまくいったのがニューオーリンズでした。それはひとえにクリオールという人種の存在によるところが大きいと思います。ニューオーリンズ以外の町では、黒人の血が混じった人種は例外なく黒人とみなされていました。そのために西洋音楽の知識を持つ人間が黒人のバンドに参加するのは大変難しく、ニューオーリンズ並に成功した地域はありませんでした。このようにして、その後「ジャズ」と呼ばれる事になる音楽はニューオーリンズで誕生したのでした。

 


ニューオーリンズの
お祭り「マルディ・
グラ」の様子