みなさん、こんにちは。謙遜日記のフジモトです。
 今週のオススメはわたしが紹介します。というのも、今週のオススメは、わたしが数ヶ月前から入れあげているニーナ・シモンだからです。

 今回取り上げるのは、ワタナベさんにも強引に買わせた "Finest Hour" です。が、別にこれがニーナ・シモンのベスト、という気はさらさらありません。わたしが聴いた限り "Porgy" 以外は全部良いアルバムです。ワタナベさんに "Finest Hour" を薦めた理由はふたつあって、1)わたしがとても好きな "Little Girl Blue" という曲が入っていて、2)初心者に分かりやすい解説がついているからです。わたしは大抵ライナーというのは読みませんし、読んでためになったと思ったことも殆どありません。が、これに限っては読みました。そうしたらなかなか「へえ〜」と思うことが書いてあったので、たまには読んでみるもんですね。でもライナーの殆どは特に読む価値の無い文章だと思います、日本版のロックCDとかのは特に。

 さて、彼女の音楽を初めて聴いたのは、コーエン兄弟の映画(大傑作)『ビッグ・リボウスキ』のサントラの中の1曲でした。このサントラ、T Bone Burnett がプロデュースしていてとても気に入っているのですが、この時はニーナ・シモンを掘り下げて聴くということはしませんでした。そのずっと後、シアトルにいる友人でミュージシャンの島田亜衣子さんの家でたしか "Featuring..." を聴いて、ピアノの素晴らしさにすっかりたまげてしまい、家に帰ってすぐ "Finest Hour" を含むアルバム4枚くらいを買いました。そのときは、「いや〜、ピアノが上手いなあ」と呑気な印象をもったもんです。ピアノが上手いのは当たり前。その後彼女の自伝を読むと、なんと彼女は「黒人初のコンサートピアニスト」になるべく英才教育を受けた、神童だったのです。

 彼女は平均的に貧しい黒人家庭に育ちました。家族は敬虔なクリスチャンで、母親は特に教会で熱心に活動をしていました。家にあったピアノを自然と覚えた彼女は、3歳くらいですでに聖歌をそらで覚えて弾けるくらいの能力を身に付けていたそうです。その後、ニーナは教会でピアノ伴奏をするようになり、ある日お母さんが家政婦をしている白人家庭の婦人がピアノを聴きに教会へやってきました。ニーナの天才ぶりに仰天したこの白人女性、「この子にちゃんとした教育を受けさせないとバチが当たる!」と、急遽「ユーニス・ウェイモン(本名)基金」を設立、イギリス人ピアノ教師もちゃんと見つけてきて、寄付金を集めて「黒人初コンサートピアニストへの道!」がまるで村おこしのように繰り広げられていったのです。

 彼女の人生はNHK大河ドラマになっても不思議じゃないくらい面白いので全部書き出すと終らなくなるからそれはしませんが、興味のある方は "I Put A Spell On You" を読まれると良いでしょう。白人の加護の元音楽教育を受けた彼女が、その後公民権運動にはまり、最後にはアメリカに愛想を尽かし祖国を捨てる、というドラマよりも興味深い話がたくさん書かれています。また、彼女の人生がすごいのは、生まれてからすぐ英才教育を受けて基金に協力してくれた人をガッカリさせないように、ものすごく孤独に学習を積んできた点です。彼女は音楽のためならボーイフレンドと別れてでも勉強をしてオールAを保ってきました。そのため、黒人社会の中では「白人の教育を受けた神童」として、白人社会の中では「奇妙な天才黒人」として、どちらに属するでもなく、知らず知らずのうちに理解者の全くいない、とても孤独なポジションを生み出してしまったのです。思えば天才ってこんなものなのかもしれませんね。

 最後に、わたしがとても好きな曲 "Little Girl Blue" について書いておきたいと思います。彼女はベツレヘムからアルバムを出しても、何となく自分をジャズミュージシャンとは認めていませんでした。ちなみにベツレヘムの社長が契約しにきたとき、「これとこれを録音してはどうか」と曲のリストを渡された彼女、「そんなの嫌だね」と一度は契約を断ったそうです。クラシックの教育を積んだ彼女は、そこらのバーで歌うジャズシンガーと自分を一緒にされたくなかったのです。彼女がバーでお金を稼ぎ音楽を続けているのは、ひとえに「黒人初コンサートピアニスト」になるためであり、夢が「カーネギーホールで演奏する」ことに変わりはありませんでした(そしてその夢は後に叶います)。ちなみに、ニーナ・シモンという芸名も、「バーで歌うのをお母さんに知られたら殺される」と、便宜上考え出されたものでした。バーの看板に自分の名前が出ているのをお母さんに見られたくなかったんですね。そんな誇り高い彼女でしたから、黒人というだけでビリー・ホリデーと比較されることが死ぬほど腹立たしかったそうです。そんなジレンマを感じていた頃、あるギターリストが彼女が歌うジャズバーを訪ねてきます。彼女の評判を聞きつけて、「ぜひ即興を一緒にしたい」と誘ってきました。当時ニーナは即興を軽蔑していました。即興は、能の無いミュージシャンがカッコつけでやるもんだと思っていたのです。カチンときたニーナは「ぎゃふんと言わせてやろう」と即興の申し出を受けます。この辺、まるで川原での学生同士の決闘みたいですね。こうして果たした即興、ニーナもビックリのすごい経験となりました。まるでふたりは、「ふたつに分かれた一つの楽器」のように "Little Girl Blue" を演奏したのだそうです。このギターリストはアル・シャックマンといい、その後彼女のツアーにもアルバムにも何度も参加しています。この曲は、こんな裏話を聞かずとも、面白いアレンジで誰が聴いてもグッとくるはずです。彼女はこの曲を演奏するたび、この時の体験を思い出すそうです。わたしも、彼らの即興時の想像図が、この曲を聴くたび頭に浮かびます。

 祖国アメリカに愛想をつかして捨てたニーナですから、アメリカに演奏にくることは殆どありません。わたしがアメリカに移り住んでから彼女のことを好きになったのに、この国で生演奏を聴く機会が無いことは悲しいことながら、彼女の心境も全く理解できなくもありません。特にブッシュが大統領である限りは。つい先日も、わたしが好きな映画監督、アキ・カウリスマキが、NY映画祭への出席をボイコットしました。これは、カウリスマキの友人でもあるイランの監督、アッバス・キアロスタミが映画祭出席のためのビザを拒否されたことへの抗議です。カウリスマキは抗議文で、「イラン人に用が無いなら、フィンランド人にも用は無いだろう。僕らは石油さえ持ってないし」と書いてます。ニーナ・シモンの場合はちょっと違うかもしれませんが、彼女がこの国に愛想をつかしたのも根本は同じところにあると思います。やっぱり天才はヘラヘラと迎合することができないからこそ、孤独なんですね。